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小保方晴子女史の手記で感じる責任を持って対応するということ

こんにちは。

雑食系恋愛ジャーナリストのおおしまです。

 

1月28日に、STAP細胞騒動の中心人物である小保方晴子女史が講談社から手記を発売しました。

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それに伴って、今回、女性自身さんで少しいつもとテンションは異なりますが、手記およびバッシング報道の一連について、どうしてあそこまで加熱したのかを振り返り分析しました。

 

 

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手記発売で反撃?なぜ小保方晴子女史はこんなにもバッシングされたのか

 

真実は分かりませんので、あまりガチャガチャ品なく語るのもどうかなーと思いながら、手記を読ませていただきました。

この書籍に書かれた、小保方さんのエピソードや対応方法が仮に真実だとしたら、私たちは自分事としておきかえた場合、トラブル処世術は学ぶべきことが沢山あるのではないかなと感じました。

 

たとえば、博士論文の不備が分かったとき、彼女はマスコミに論文が流れないよう事前に大学や先生に掛け合ったそうです。

ただ、先生からは「すぐに疑義が挙るなんてありえないよ」大学側からは「今回収したら逆にマスコミに嗅ぎ付けられるから」と言われて、回収を断念するシーンがありました。

こういう、”誰かに言われたからマズいと感じたけれど途中で断念した。心配だけが残った”みたいな話が、今回の手記には多く書かれていたんですね。

その結果全てが裏目に出たという話しの流れになるわけですが、何かトラブルの渦中に自分がおかれたら、周りの人を信じることも大切だけど、最後は自分の判断でケツを拭ききらなくてはいけないのだな。ということを反面教師的に強く感じました。

 

本書は彼女の幼少から研究者としての半生が淡々とかなり詳細に書かれている本です。半分以上は私のような一般人にはわからない内容です。

ただ、大きな事件として扱われた本件を「おぼちゃんの虚言」みたいなバッシングで終わらせるのも、いささか感情的ではないかと思います。

もちろんこの件で優秀な研究者の命が絶たれているわけで、軽々しく「おぼちゃんがやっぱり正しいのでは」という意見を言うことも違うと思います。

 

かの天才ヘンリー・フォードは

失敗とは、よりよい方法で再挑戦する素晴らしい機会である

なんて名言を残しています。

小保方女史が再挑戦するかは彼女の心しか知り得ないことです。

ただ手記が出版された以上、「犯罪者の本だ」と決めつけるのではなく、私たちもこの大きな一連のバッシングという失敗から、学ぶべきことが沢山あるのではないでしょうか。

 

 

 

[終わりの告知]